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ベネチア

今回のベネチア行きにはそれなりの思い入れがあって、それは塩野七生さんの「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」。永遠の都ローマと言われ、永く栄華を誇ったローマ帝国が滅亡した後もイタリア半島で自由と独立を保ち続けたヴェネツィア共和国。蛮族から逃れるために干潟の上に都市を築いたことが建国のきっかけでもあって、当然ながら資源はなく、貿易と外交を駆使したその体制は特異なものだったと言われています。ナポレオンにその歴史の終止符を打たれるまで、小国ながら軍事的にもジェノヴァやピサ、アマルフィなどの海洋都市国家だけでなく、ビザンチン帝国やトルコ帝国などの大国の対しても軍事的に対抗したというのは奇跡としか言えません。
その中心となったのが、ドージェ(元首)や元老院議会があったドゥカーレ宮殿。有事の際には中央の窓からドージェ(元首)が演説をしたそうです。
ドゥカーレ宮殿

ヴェネツィア共和国の体制が特異だったのは、あの時代にあって常に権力を特定の人物に限定させず、合議制で物事を決めたこと。そして必ずお互いが監視しあう関係にあったこと。独裁体制は許されず、トップに立つドージェ(元首)でさえ不徳を働いて牢屋行きにされたこともあったほど。当時の犯罪者というのは主に政治犯ですが、その犯罪者が下の写真左のドゥカーレ宮殿から右の牢屋に向かって歩かされたという溜息の橋(溜息をつきながら、ここを歩いたという)。ベネチアの観光名物ゴンドラに乗るときのハイライト場面です。
ため息の橋

そして元老院議員である貴族は、政治を行うにも関わらず無報酬であったこと。富裕層なのだから完全なるボランティアということですね。晩年には没落貴族というのもいたようですが、貿易で国が潤っているときにはこれで上手くいっていました。また市民に対しては、遺族が戦死した場合には残された家族が生きていけるように遺族年金なるものもありました。経済の中心となる貿易には誰でも参入できるような支援制度もあったというし、資源のない国が一千年間存続し続けるには、それなりの理由があります。当時の貿易は胡椒を取引して金にかえていたというから面白いですね。


もう一つ宗教的な面で興味深いのは守護聖人。守護聖人というのは聖人の御遺体を、その都市の守り神にするということだけれど、もともとのヴェネツィア共和国の守護聖人は、聖テオドーロというヒエラルキーの上ではあまり高くない守護聖人だったらしい。で、ヴェネツィア共和国の商人がエジプトのアレクサンドリアの混乱時に聖マルコのご遺体を買い受けてきてヴェネツィア共和国に持ち帰ったという、それが紀元828年の出来事だったとか。聖人のヒエラルキーで行くと、一番上はキリストの弟子で十二使徒、それに続いて聖パウロと福音書を書いたルカとマルコがきてここまでが一流らしい。だから聖マルコの御遺体を持ち帰ったこの時点でヴェネツィア共和国は、一流の守護聖人を持ったということになるわけですね。で、福音書著作者の4名には寓意する動物が定められていたということで、聖マルコはその中でも立派な獅子。それでベネチアの広場には写真右に次席の聖テオドーロ、左は聖マルコを表す獅子(ライオン)の像が建てられています(ちょっと遠くて分かりにくい・・)。
守護聖人

聖マルコの御遺体は今でもドゥカーレ教会内に祭ってあって、今回も見学できました(写真撮影は禁止)。ちなみにフィレンツエの守護聖人は洗礼者ヨハネ、ローマは聖ペテロです。そういえばフィレンツェ出身のレオナルド・ダ・ヴィンチは、洗礼者ヨハネの絵を描いてますね(ルーブル美術館蔵)。

いったん、ここで切りま~す。
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2012.03.31 Sat l 旅行記 l COM(0) l top ▲

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